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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)218号 判決 1993年1月21日

京都府京都市南区吉祥院西ノ庄猪之馬場町一番地

原告

日本電池株式会社

右代表者代表取締役

寿栄松憲昭

右訴訟代理人弁護士

竹内澄夫

市東譲吉

矢野千秋

前田哲男

同 弁理士

富田修自

堀明〓

右訴訟復代理人弁護士

小岩井雅行

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官

麻生渡

右指定代理人

鈴木隆盛

太田正人

奥村寿一

田辺秀三

主文

特許庁が昭和六二年審判第一六五六二号事件について平成二年七月五日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五五年二月四日、名称を「鉛蓄電池」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたところ、昭和六二年七月一六日拒絶査定を受けたので、同年九月一七日審判を請求した。特許庁は、右請求を同年審判第一六五六二号事件として審理し、昭和六三年一一月一四日出願公告したが、特許異議の申立があり、平成二年七月五日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。

二  本願発明の要旨

硬質活物質中に異方性の大なる黒鉛を添加した正極板を備えることを特徴とする鉛蓄電池。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2(一)  昭和四七年五月五日社団法人電気化学協会発行の「電気化学および工業物理化学」第四〇巻第五号三八〇頁ないし三八四頁(本訴における甲第六号証、以下「第一引用例」という。)には、次の事項が記載されている。

ア 硫酸中での黒鉛の陽極酸化については、古くからTieleなどによって研究されている。適当な条件のもとでは、黒鉛は硫酸とnC+3H2SO4〓Cn・HSO4・2H2SO4+H++eのように反応し、HSO-4は黒鉛結晶の層間に入ってイオン結合し、H2SO4はHSO-4の間にあってスペーサとして働き、全体として、比較的安定な黒鉛酸性硫酸塩層間化合物をつくると考えられている(三八〇頁左欄二行ないし一〇行)。

イ 黒鉛の結晶内で層間化合物を生成すると、その生成量に比例して、結晶がC軸方向へ膨張する。黒鉛の微結晶集合体が等方性であるときは、この膨張による伸び方向が一定しないために、化合物が生成してゆく過程で黒鉛は細かくひび割れをおこし、ついには原形をとどめないまでの損傷をうけることがある。これに対して異方性の大きい黒鉛を試料とするときは、その伸び方向が常に一定しているので、黒鉛は一方向にのみ体積膨張をおこすだけで、その他、外観上の変化はほとんど認められない。したがって、三〇〇〇℃で熱処理した異方性熱分解黒鉛・・・は層間化合物の生成過程をしらべるための電極試料としては適当な材料であるといえる(三八〇頁右欄一一行ないし三八一頁左欄一行)。

これらの記載から、第一引用例には、黒鉛を三〇〇〇℃で熱処理すると異方性黒鉛が得られること、この異方性黒鉛は硫酸と反応してC軸方向に膨張しながら層間化合物を生成することが示されていると理解できる。

(二)  特開昭五二-七四八三九号公報(本訴における甲第七号証、以下「第二引用例」という。)には、次の事項が記載されている。

ア 正極活物質中にCn・HSO4・2H2SO4を添加したことを特徴とする鉛蓄電池(特許請求の範囲)。

イ Cn・HSO4・2H2SO4の反応式はCn・HSO4・2H2SO4+H++e〓nC+3H2SO4(二頁上左欄九行、一〇行)

ウ 約三〇〇〇℃で熱処理した異方性熱分解黒鉛を電極とし、対極ととして純鉛板、電解液として15NH2SO4を使用し、黒鉛極を陽極にするとCn・HSO4・2H2SO4なる層間化合物が生成するので、これを適当な粒径に粉砕したものを使用した。このCn・HSO4・2H2SO4を正極活物質中に添加することにより目的の達成が可能になる(同一五行ないし同上右欄一行)。

これらの記載から、第二引用例には、正極活物質中に異方性の大なる黒鉛を硫酸と反応させて得た層間化合物を添加した鉛蓄電池の発明が示されている。

3  本願発明と第二引用例に記載の発明とは、活物質中に異方性の大なる黒鉛を添加した正極板を備えた鉛蓄電池である点で一致し、

ア 異方性の大なる黒鉛を添加する活物質について、本願発明では硬質活物質としているのに対し、第二引用例記載の発明では活物質が硬質であるか他のものであるかについて触れていない点(以下「相違点ア」という。)

イ 黒鉛について、本願発明では異方性の大なる黒鉛として活物質中に添加しているのに対し、第二引用例記載の発明では異方性の大なる黒鉛を硫酸と反応させた層間化合物を活物質中に添加している点(以下「相違点イ」という。)で相違している。

4  これらの相違点は、以下の理由で当業者が容易に変更し得る程度の事項にすぎないと認められるから、本願発明は第一、第二引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められる。

(一) 相違点アについて

(1) 一般に、電極活物質ペースト作製の際の練り液量に対する活物質の割合、すなわち、ペースト密度の大小によって化成後の活物質は硬質にも軟質にもなり、電池性能にも影響を与えるものであることは、田川博著「電池および蓄電池」(昭和二八年一二月一日共立出版株式会社発行)の一〇二頁ないし一〇五頁に記載されているように周知である。

(2) そうすると、第二引用例記載の発明の活物質を硬質活物質とするか軟質活物質とするかは、電池の用途、寿命などを考慮して選択決定すべきことであり、かつ、硬質活物質を選択することを妨げる格別の阻害要因があるとは認められないから、この相違点は当業者が容易に選択決定することができる程度のことにすぎないと認める。

(二) 相違点イについて

第二引用例記載の発明に用いられる層間化合物が黒鉛の一形態であること、及び、この層間化合物がC軸方向に膨張することは第一引用例の記載から明らかであるから、第二引用例記載の層間化合物も異方性の大なる黒鉛であることに変わりはない。したがって、この相違点は、表現上の差異にすぎず、この点をもって両者を異なるとすることはできない。

5  請求人(原告)は、本願発明は、正極活物質に添加した異方性の大なる黒鉛は電池の初充電中に陽極酸化を受け、電池内で黒鉛が層間化合物に変化するものであることを前提として、第二引用例記載の発明との差を主張しているが、本願発明は、特許請求の範囲に記載されたとおりの鉛蓄電池に関する発明であって、鉛蓄電池の正極板の製造方法や化成方法、初充電方法に関する発明ではなく、そのような方法について限定するところもない発明であるから、この主張は、本願発明の構成に基づく主張ではなく採用しない。

6  以上のとおり、本願発明は、第一引用例及び第二引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができないものである。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1ないし3は認める。同4のうち、(一)(1)は認めるが、その余は争う。同5、6は争う。

審決は、相違点ア及びイについての判断を誤り、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。

1  相違点アについての判断の誤り(取消事由1)

審決は、第二引用例記載の発明の活物質に硬質活物質を選択することを妨げる格別な阻害要因があるとは認められないとして、相違点アは当業者が容易に選択決定できる程度のことにすぎないとしているが、以下述べるとおり、右判断は誤りである。

本願発明は、寿命性能を良好に保ちつつ、初期性能に優れた鉛蓄電池を提供することを目的とするものである。

ところで、硬質の正極活物質は多孔度が低いため、これを用いた鉛蓄電池は、寿命性能は良好であるが、初期性能が良くないのであるから、本来、この初期性能の悪さが硬質活物質を選択する阻害要因になるはずである。それにもかかわらず、本願発明は、硬質正極活物質を選択し、異方性の大なる黒鉛は硫酸中で陽極酸化すると黒鉛が膨張するという特性を利用して、正極活物質の多孔度を増加させ、初期性能、寿命性能ともに優れた鉛蓄電池の発明に成功したものである。本願発明が正極活物質を硬質のものに限定したのは、軟質の正極活物質はもともと活物質の多孔度が高いため、寿命性能は劣るものの、初期性能が良好なため、それ以上活物質の多孔度を上げても初期性能の改善は僅かであり、むしろ活物質の多孔度をそれ以上上げると寿命性能が悪くなり、異方性の大なる黒鉛を添加する意味がなくなること、軟質の正極活物質に異方性の大なる黒鉛を添加すると、黒鉛の膨張によって活物質が軟弱になり、初充電中に活物質が脱落するなどのため、正常な状態での極板が得られないからである。

したがって、本願発明では、硬質正極活物質を使用することが発明成立の必須の要件であるのに対して、第二引用例記載の発明にはそのような記載がないという相違は、正に両発明の作用効果の相違から導かれているものであり、本願発明の作用効果に想到しない当業者に硬質活物質の選択決定が容易であるとはいえない。

被告は、本願発明と第二引用例記載のものは、正極板の物理的条件が同等であれば、同等の性能を発揮するはずである旨主張するが、両者は正極板の製造方法を異にしているから、その物理的条件を同等にすることはできないし、初期性能や寿命性能に関する実験的証明もなされていないのであるから、被告の右主張は失当である。

2  相違点イについての判断の誤り(取消事由2)

第二引用例記載の発明に用いられる層間化合物が黒鉛の一形態である旨の審決の認定は誤りであり、また、第一引用例には、層間化合物がC軸方向に膨張することは記載されていないのであるから、第二引用例記載の層間化合物も異方性の大なる黒鉛であることに変わりはない旨の審決の認定、判断は誤りである。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。同四は争う。審決の認定、判断に誤りはなく、審決に原告主張の違法はない。

二1  取消事由1について

充電状態における本願発明の正極板を考えると、Cn・HSO4・2H2SO4(黒鉛酸性硫酸塩層間化合物)を形成するはずであり、第二引用例記載のものも、Cn・HSO4・2H2SO4を添加した正極板を用いており、電池としてみた場合、両者とも、同等の物質が添加された正極板である。そして、正極板の物理的条件、すなわち、正極板の大きさや厚み、あるいは活物質ペーストの量や添加物の添加量等の条件が同等であれば、当然に、理論的には同等の性能を発揮するはずである。

したがって、「多孔度の増加」は所詮層間化合物無添加の正極板に対する相対的な作用効果にすぎず、本願発明が硬質活物質を選択するについて、「多孔度の増加」が、第二引用例記載のもの以上に格別の結合関係があるとすることもできない。

したがって、相違点アについての審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2について

本願明細書の記載(甲第五号証の第二欄末行ないし第三欄二行及び第三欄一八行ないし二〇行)によれば、本願発明に係る鉛蓄電池の正極板活物質中に添加された異方性の大なる黒鉛は、電池の充電状態において第一引用例における黒鉛酸性硫酸塩層間化合物(Cn・HSO4・2H2SO4)を形成するものであることは明らかである。そして、第二引用例には、異方性の大なる黒鉛を硫酸と反応させて得た層間化合物を正極活物質中に添加した鉛蓄電池が示されている。そうとすれば、本願発明における異方性の大なる黒鉛は、電池の充電状態においてはCn・HSO4・2H2SO4を形成するものであって、第二引用例におけるように「正極活物質中にCn・HSO4・2H2SO4」と表現するか、あるいは、本願発明におけるように「異方性の大なる黒鉛を添加した正極板」と表現するかは、結局、同等の鉛蓄電池の正極板を表現したにすぎないということができる。

したがって、相違点イについての審決の判断に誤りはない。

第四  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりである。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実、第一、第二引用例に審決認定の技術事項が記載されていること、及び、本願発明と第二引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

成立に争いのない甲第五号証(本願公告公報)によれば、次の事実が認められる。

本願発明は、ペースト式鉛蓄電池の改良に関するもので、その目的とするところは、初期性能に優れ、かつ、寿命性能も良好な密閉式鉛蓄電池を提供することである。

一般に、鉛蓄電池は正極板の劣化によって寿命が尽きる場合が多く、寿命性能を改良するために、正極板の厚みを大きくしたり、ペースト密度を高くする方法が採られているが、このようにすると初期性能が悪くなってしまうので、初期性能、寿命性能ともに良好な鉛蓄電池を得ることは困難であった。また、密閉式鉛蓄電池では無漏液構造をとることからくる欠点があり、電解液が豊富な一般の湿式鉛蓄電池に比べて電解液によって性能が制限されやすい。この放電性能を向上させるには、活物質にできるだけ多くの電解液を保持することが望ましく、そのためには軟質ペーストを用いて活物質の多孔度を上げればよいが、軟質ペーストは寿命性能に劣るという欠点がある。従来、初期性能を改善するために、正極活物質に炭素繊維や黒鉛を添加することが提案されていたが、これをペースト密度の大なる正極板に適用してみても性能改善の効果は僅かであった。

本願発明は、異方性の大なる黒鉛が陽極酸化を受けると結晶がC軸方向に膨張するという特性を利用するものであり、正極ペーストに異方性の大なる黒鉛を添加することによって、ペースト密度が大きい正極板でも多孔度が増加し、初期性能が著しく向上することがわかったことに基づくものである。すなわち、黒鉛は、炭素原子の正六角形平面網が層状に積み重なった構造の結晶で、層平面内は共有結合によって強力に結合されているが、層平面間はフアンデルワールスカにより結合されているだけで弱く、黒鉛の結晶内で層間化合物が生成すると層平面間隔が拡がって結晶はC軸方向(層平面に垂直方向)に膨張する、そして、黒鉛が異方性の場合には、一定方向にのみ膨張するので、層間化合物が生成するにつれて損傷したり、崩壊したりすることはない、という知見を利用するものである。しかして、本願発明に係る鉛蓄電池は、本願発明の要旨記載のとおり、硬質の正極活物質に異方性の大なる黒鉛を添加した正極板を備えることによって、電池の充電によって黒鉛が損傷を受けることなく膨張し、周囲の活物質に作用して活物質の多孔度が増す結果、初期性能に優れたものである。そして、異方性の大なる黒鉛が陽極酸化を繰り返し受けて膨張し、それによって、寿命性能も優れたものである。

三  取消事由に対する判断

1  取消事由1について

(一)  一般に、電極活物質ペースト作製の練液量に対する活物質の割合、すなわち、ペースト密度の大小によって化成後の活物質は硬質にも軟質にもなり、電池性能にも影響を与えるものであることが、本願出願前周知であったことは、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない乙第一号証の一ないし三によれば、田川博著「電池及び蓄電池」(昭和二八年一二月一日共立出版株式会社発行)の「第4章 鉛蓄電池の製造法」には、「ペースト作成の際、練液量を少なくするとペーストは硬質となり、多孔度の小さい極板が出来る。こうした硬質ペーストは一般に初期容量は小さいが寿命の長い極板を作るといわれている。逆に、練液量の多いペーストは軟質ペーストとなり、多孔度が大で、多少寿命は犠牲にしても容量の大きいことを要求される極板を作る。」(一〇三頁末行ないし一〇四頁六行)と記載されていることが認められる。

右事実によれば、鉛蓄電池の寿命及び初期容量と活物質の性質とは、鉛蓄電池の寿命を長くするためには硬質活物質を採用すればよいが、この場合には初期容量が小さくなり、逆に、初期容量を大きくするためには軟質活物質を採用すればよいが、この場合には寿命性能が犠牲にされるという関係にあるとの知見が、本願出願前に周知の技術的事項であったものと認められる。

したがって、この知見に基づいて、寿命性能の向上あるいは初期性能の向上のいずれかの達成を目的として活物質の選択を行うことは、当業者において適宜なし得るところであると認められる。

しかしながら、前記二項で認定したとおり、本願発明は、初期性能と寿命性能の両立を課題とし、寿命性能に優れた硬質活物質の正極板に異方性の大なる黒鉛を添加する構成を採択したことにより、寿命性能の他、初期性能をも備えた鉛蓄電池を提供するものであって、両性能のいずれかの達成を目的として活物質の選択を行うことを問題としているものではないから、本願発明の右課題及び構成について示唆のない前記周知の技術的事項から、第二引用例記載の発明の活物質を硬質活物質とすることが、当業者において適宜選択し得たものとすることはできない。

他に、本願出願前において、同一の活物質で右両性能の両立を図ることを可能とする知見が存在したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、相違点アについての審決の判断は誤っているものといわざるを得ない。

(二)  被告は、本願発明と第二引用例記載の発明における各正極板は同等の性能を発揮するはずであり、本願発明が硬質活物質を選択するについて、「多孔度の増加」が、第二引用例記載のもの以上に格別の結合関係があるとはいえない旨主張するが、以下のとおり右主張は採用できない。

(1) 第一引用例に、黒鉛は硫酸と反応すると、黒鉛酸性硫酸塩層間化合物(Cn・HSO4・2H2SO4)をつくると考えられていると記載されていることは当事者間に争いがなく、右記載によれば、本願発明における正極活物質に添加された黒鉛は、鉛蓄電池が充電状態に至る過程(初充電、化成工程)で、陽極酸化により硫酸と反応して、黒鉛酸性硫酸塩層間化合物(Cn・HSO4・2H2SO4)を形成し、正極板は充電状態で右化合物を含むものと考えられる。一方、第二引用例記載の鉛蓄電池が正極活物質中にCn・HSO4・2H2SO4を添加したものであることは当事者間に争いがなく、第一引用例の前記記載によれば、右化合物は、鉛蓄電池が充電状態に至る過程で変化することはなく、そのままの状態であると考えられる。そうすると、本願発明の正極板と第二引用例記載の正極板は、いずれも活物質中に黒鉛酸性硫酸塩層間化合物という同等の物質が添加されたものということができる。

(2) ところで、第一引用例には、黒鉛の結晶内で層間化合物を生成すると、その生成量に比例して、結晶がC軸方向へ膨張すること、及び、異方性の大きい黒鉛を試料とするときは、その伸び方向が常に一定しているので、黒鉛は一方向にのみ体積膨張をおこすだけで、その他、外観上の変化はほとんど認められないことが記載されているところ(この事実は当事者間に争いがない。)、本願発明において、正極板に添加する黒鉛は異方性の大なるものであるから、黒鉛が陽極酸化して黒鉛酸性硫酸塩層間化合物を形成する際、黒鉛は損傷を受けることなく膨張し、周囲の活物質に作用して活物質の多孔度が増加することになる(前記二項に認定のとおり、本願発明は、黒鉛の結晶内で層間化合物が生成すると結晶はC軸方向に膨張すること、及び、黒鉛が異方性の場合には一定方向にのみ膨張するので、層間化合物が生成するにつれて損傷したり、崩壊したりすることがないことを利用するものである。)。

これに対し、第二引用例記載の正極活物質中に添加された黒鉛酸性硫酸塩層間化合物は、前記(一)記載のとおり、鉛蓄電池が充電状態に至る過程で変化することはないのであるから、黒鉛の体積膨張やそれに基づく活物質の多孔度の増加もおこらないものと考えられる。

右のとおり、本願発明における正極板と第二引用例記載の発明における正極板とは、活物質の多孔度の点で相違しているところ、前記1項に認定の事実、及び成立に争いのない乙第三号証の一ないし三(前出田川博著「電池および蓄電池」の一九八頁ないし二〇一頁)によれば、正極板の活物質における多孔度の相違が極板の放電容量や寿命性能に影響を及ぼすことは明らかであるから、仮に、被告主張のように正極板の物理的条件を同等にしたとしても(現実的に可能かどうか疑問であるが)、両者の正極板に性能上の差異があるとみるのが相当である。

以上のとおり、両者の正極板に性能上の差異がないとする被告の主張は、具体的な実験結果に基づくものでないばかりか、技術理論的にも採用することのできないものである。

したがって、右主張を前提とする、本願発明が硬質活物質を選択するについて、「多孔度の増加」が、第二引用例記載のもの以上に格別の結合関係があるとはいえない旨の被告の主張も採用できない。

2  取消事由2について

審決は、相違点イとして摘示した活物質に添加される物質について、本願発明における「異方性の大なる黒鉛」と第二引用例における「異方性の大なる黒鉛を硫酸と反応させた層間化合物」を単なる表現上の差異にすぎないものと判断しているが、技術的見地からこの両者を同視できないことは既に説示したところから明らかであるから、右判断も誤りである。

以上のとおりであって、相違点についての判断の誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法として取消しを免れない。

四  よって、原告の本訴請求は、理由があるから認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)

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